光明小の昔

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★講堂 昭和48年頃 ★二の池(現幼稚園)から眺めた学校 昭和48年頃 
       
★ 昭和29年頃の様子  ★ 昭和35年頃の様子
 
★ 昭和元年度の子どもたちの様子  ★ 昭和18年頃の子どもたちの様子
   
★ 昭和56年頃の様子 ★ 臨海学校から帰校の為汽車に乗る子どもたち 昭和42年

 
★ 昭和13年頃の様子 ★ 平成5年頃の様子 

 
昭和38年に学校創立90周年を記念して校歌とともに新しい校章が制定されました。この校章は子どもたちから募集したもので尾生町の南正子さんの作品が採用されました。 ★ 昭和38年頃の様子

 
★ 赤山で模型飛行機を飛ばす子どもたち(昭和40年) ★ 赤山で野外学習(昭和40年)
   赤山 山をつくる土砂が赤味を帯びていることから、赤山」と呼ばれていました。古くは「箱谷」と言われ、この付近から石棺が出土したことに由来しています。赤山には8基の古墳があったことが確認されていましたが、その大部分は崩れ去ったり開発されたりして跡形もなくなっています。これらの古墳群は「岡山古墳群」と言われています。
 ★赤山で雪遊びをする子どもたち(昭和40年)


★ 創立80周年記念式典集合写真 昭和28年 ★ 昭和37年頃の様子 

 
★ 昭和37年頃の講堂  ★ 昭和28年頃の様子

 
★ 昭和43年頃の正門付近の様子 尾生尋常小学校名が記入れている卒業証書台帳

 
★ 昭和16年頃の子どもたちの様子 ★ 昭和16年頃の子どもたちの様子
   
★ 大正3年度卒業生によって寄贈された鉄筋校舎竣工記念碑 裏面には寄贈者30名の氏名が彫られています。(昭和34年)  ★ 平成8年6月の木造校舎風景